スコア至上主義からの脱出
なぜTOEICをやっているんですか?
当ブログをお読みくださる方はTOEICに興味のある方が多いはず…。
この問いに即答できるでしょうか。
外的要因は取り除いたところで(外的要因=仕事や受験で必要だから、など)皆さまの心にぱっと浮かんでくる答えは何でしょうか(このあたり、ぜひ聞いてみたいところです)。
理由としてありそうなのは、
1 「スコア700(800、900…)を目指したいから」
2 「職場の〇〇には負けたくないから」
3 「TOEICの英語はきちんとした英語(スラングなどがない)なので、基本をちゃんと学べるから」
4 「TOEICが好きだから」
5 「なんとなく」
これくらいでしょうか?もっとあるかな。
とりあえずで思いつくのはこんな感じであり、私の場合はというと、何度も記事でも書いてますが、990を取りたかったから。なので、1に近いです。
990は最高峰だけど、その前段階でも、700に到達すれば次は750、そこにいけば次は800…といった具合に、次から次へと目指すスコアへの欲が出ました。
じゃあ990が最高値なので、そこまでいけば欲はなくなり、楽になれるのかというと、そんなことはなかったです。
990を取ったら取ったで、「まぐれかも」と思い、その後も取れても、安心できるのは一瞬。
「次も取れるかな」と不安になり、700から800を目指していた頃と心境は同じでした。
常に不安がつきまとっていたんです。それは、スコア帯関係なく。満点取れたから、も関係なく。
スコアだけに縛られてTOEICと付き合っていたからです。
スコアアップを目指すことは素晴らしいことだし、私もそれを目標に、+TOEICが好き、という思いTOEICに取り組んできました。
でも、スコアという数字に囚われることが、それを心の中に占める割合が増えれば増えるほど、スコア自体は上がっていっても不安になりました。
ある日、家族に言われたことがあります。
「TOEIC、いつまで続けるの?」
別に嫌味で言われたわけでもなんでもなかったのですが、いつもガリガリ勉強している私を見て、不思議に思ったのでしょう。
好きだと言ってるTOEICのはずなのに、なんでこんなに追い詰められたようになっているのかと。
確かに。なんでこんなにつらくなってるんだろう。
数字でした。
スコアスコアスコア、とスコア至上主義になっていて、そのことが私を苦しめていたのです。
TOEICや周りの人たちは何も悪くありません。私の心持ちの問題です。
数字だけで、いつしかTOEICを見ていたから、つらくなった。自分で自分を追い込んでいました。
数字だけを追い求める学習は、苦しいです。エンドレスで終わらない戦い。
それも自分が自分に対して勝手に作った戦い(闘い)。
もっともっと数字がほしいと、くれくれ星人になる。
そこにはもはや学びはなく、脳内は単なるスコア獲得マシーンでしかない。
今も私はTOEICが大好きですが、もうあの頃の気持ちで取り組むことはありません。
TOEICのメリットデメリットを知った上で、TOEICと関わる。
自分にとってTOEICとは何なのかを考えた上で、TOEICと向き合っていく。
これをやらないと、誰しもスコアマシーンになってしまう気がします。
英語を学ぶことは、数字だけで測れるものじゃない。
数字で測ってもいいけど、それだけになると苦しい。
これだけやったから、これだけの数字が得られる。
本当の学びは、そういうものじゃない。
「等価交換を考えている人に、奇跡は起きない。」
師匠にいただいた言葉。大切にいつも胸に秘めています。