努力は夢中に勝てない
最近聞いて、とても心に響いた言葉です。
努力という言葉はこれまで断然多く使ってきたし、たくさん聞いてきた。
努力しなさい
努力しないと
努力すれば…。
でも、夢中は?
夢中って聞いてまっさきに浮かぶのは、子どもの頃のこと。「夢中になって、友達と遊んだ」これがいちばん強烈。色んなシチュエーションを瞬時に思い出せる。自分でも不思議な位、あの時、あの場所で、あの子たちと…。日が暮れるまで遊んだこと。鮮明に蘇る。
皆さまも、そういうことありませんか?それだけ、夢中の度合いが高かったこと。
大人になってからも夢中になることはもちろんあったけど、子ども時代のそれには、かなわない。逆に言うと、それぐらい夢中になれるってすごく純粋に「遊ぶ」ということに向かえてたんだなと。
努力より夢中が先立つ方がが、すっと手に入ってくる。向こうから近づいてくる。
私はTOEICに純粋に夢中になっていた頃は、スコアがガンガンと上がりました。努力しなきゃ努力しなきゃ、と思うようになったのは、スコアが上がってきてから。気づけば、始めた当初より数字、スコアに縛られるようになっていました。
もちろん受けるからにはスコア上げたい、高い所狙いたい。でもそこにばかり気が向くと、夢中よりも努力しなきゃ=must の方が強くなってきてしまう。
夢中になる=楽しむ です。それも、無理にそうしようとするんじゃなくて、子どもの頃みたいに「楽しい!」って思えること。
大人だからこそその気持ち持ち続けないと、きっと継続していけないです。息切れしてやめてしまうか、上に書いたような義務感に苛まれる。どっちも苦しいです。
自分に問いましょう。
いまやっているTOEICの勉強、英語学習。義務感でやってないか、自分で自分苦しめていないか。夢中になるほど、楽しめているか。
努力は、夢中に勝てない。