「〇〇だけで」の功罪
ネットを使っていると「〇〇だけで」「1日たったの〇分で」英語ができるようになります!ペラペラになります!っていう広告を時々見ます。
英語に限らずですが、こういった謳い文句の商品ってありますよね。
最小限の労力と時間で、ほしいものが手に入る。
以前はそういう情報に反応して、見てしまうこともありました。
決してそれらの商品を批判するわけではなく、それで本当にほしい力が得られるならいいと思うんです。
でも、私はダメでした。
望むような結果や力は得られませんでした。
すごく高いお金を払ったわけではないですが、「〇〇だけ」系の教材を買ったことはあります。
でも、やってみたら、ふーんって感じでした。だったら、自分で別のものやったほうがよさそうだな。
これが正直な感想でした。
英語も含め、語学を身に付けるというのは、そう簡単に手に入るものではないように思うんです。
私の周りで、私が見て、すごく実力あるなと思う人たちは、みんなものすごく努力してます、進行形で。
たくさん時間を使って、創意工夫、試行錯誤して、自分なりのやり方で向上し続けてます。
とても数日で得られたものではありません。だからこそやりがいがある。
私がTOEIC990をどうしても手に入れたかったのは、その理由のひとつは「なかなか手に入れらないから」でした。
届きそうなのに、届かない。あと少しのところで、また逃げて行ってしまう。近づいたかと思えば、また大きく引き離される。
だからどうしてもほしかったんです。
これが、誰でもすぐ取れる、10人受けて、そのほとんどの人が満点をたやすく取れる。
こんな状況だったら、990の価値は私にとってまったくなかったと思います。TOEICを受けるのすら、すぐにやめたと思います。
人間ですから、何かやっている以上は結果とともに充実感もほしい。
それを満たしてくれたのがTOEICでした。
合否じゃなくて。ゼロか100かじゃなくて。スコア、という伸びしろを持たせてくれるテスト。
少し頑張れば、次の段階に行ける。でもさぼったらすぐに下へと転がり落ちる。
希望と厳しさを併せ持ったテスト!!
書いてるうちに、だんだんと熱くなってきました。
とにかく、安易に手に入れられるものは、私にとっては魅力的じゃありませんでした。
苦しくても、その先にほしいものがあるから、「こうなりたい」と手に入れたい理想の自分がいるから、頑張れる。
つまるところ、プロセスにも充実感がほしいということです。だから私にとって語学は生涯学習。
今、英語のほかに多言語(独仏伊露)にも夢中ですが、飽きることなく、この先もずっと続けていけると思っています。
文法項目によっては、難解すぎて頭から湯気が出そうになりますが、それでもやりたい。
そこはもう、試験や点数にこだわる領域を超えて、新しいことを学べること、知的好奇心を満たしてくれることがそれはそれは楽しいからです。
これまでとは違った価値観、世界が見えてくるから。やっていることそれ自体が楽しい。
最高です!