しつこいくらいがちょうどいい

 

現在、英語レッスンをしている生徒さんの中で、毎日音読筆写をやっている方がいます。

レッスンで使っている教材ももう何周もやっているようなので、これならもうほぼ完ぺきに言えるだろうと思っていました(一文一文が短い教材です)。

ところが、先日のレッスンでその教材の日本文を即座に英文にしてもらったところ、すぐにはできませんでした。とてもシンプルで、何度も出てくる一文です。意外だったので、聞いてみました。

「Aさん、これ、もう百回近く音読されているんですよね?もうすっかり覚えてしまっているかと思っていました。」

「すみません、すぐに出てこなくて。」

「毎日音読筆写に励まれているのは分かっています。ただ…もしかして、それをやることに満足していませんか?」

「そうかもしれません。」

 

原因は、Aさんが音読筆写を「毎日やる」「〇回こなす」ことを意識しすぎるあまり、それ自体が目的になってしまっていることでした。

本来の目的は、その英文一つ一つを口になじませ、脳にしみこませ、言われたらさっと言えるようになることなのですが、こなす回数が最終目的になってしまっていたのです。

かつ、Aさんは、繰り返すうちに「これはもう完璧に覚えている」と自分で思い込んでもいたようでした。

 

少し前の自分と重なりました。

TOEICの問題集を解いて、理解したら「もうこれは分かった」と、さっと終わらせたこと。なのに、別の角度から出されたら間違えたこと。さらに、公開テストで出題された時に、思い出せず結局間違えてしまったこと。

 

勉強は、しつこいくらいやった方がいいです。自分を過信せず、何度も何度もやる。

もうこんなの分かってるよ、と思っても、いや待てよ、またすぐ忘れるからもう1回見ておこう。これぐらいがちょうどいいです。

以前記事にしましたが、色を重ねるように勉強しましょう。絵を描く時に、薄い色を何度も重ねるように。

 

一回で理解できなくていいから。一度で全部覚えなくていいから。その代わり、しつこいくらいやりましょう。それが、基礎を繰り返すということです。

一度身に付いた基礎は、絶対なくなりません。しっかりと身に付けさえすれば。基礎があれば、どんどん応用できるようになります。奇問難問にも対応できるようになります。

そうなるためには、何度も何度も何度もやる。まだやるの?と周りが驚くくらいやる。それぐらいがいいです。本番で悔しい思いをしないために。

 

しつこいくらいが、ちょうどいい。